mokaroom1221’s diary

ありえないくらいの幸せを見つける夢を叶えるまでの日常

【マッチングアプリ】4か月続けたTinderを辞めた話

昨年12月から続けてきたTinder。

 

どこか寂しくてたまらなくて

暇な時間をつぶしたくて

いろいろな思いを抱えながらしていたTinder。

 

やめたいと思っていたけど、

なかなかやめることができなかった。

 

なぜかというと

誰かと話している間は

自分が必要とされている気がしたから。

 

消したら誰からも必要とされなくなる気がして。

 

要するに承認欲求を満たしたかったんだと思う。

 

 

 

Tinderをしていて楽しいこともあったけど、

悲しくなることも多かった。

 

 

楽観的な気持ちでするのが一番なんだと思うけど

そういう気持ちですることができないときもあった。

 

 

だからちょっと続けるのがつらくなって、

消すことにした。

 

 

Tinderを開くのが日課の一つになっていたから

はじめは入れてあったアプリの場所に

無意識のうちに指を動かしていたことも

あったけど

だんだんと忘れて

Tinderをやっていたことすら忘れてた。

 

 

Tinderを辞めて一番良かったことは

・時間が増えたこと

 

今までTinderに割と時間を使ってしまっていたことを実感した。

 

今はTinderに使っていた時間を

文章を書く時間にあてたり、

勉強する時間にあてたり、

運動する時間にあてたりしている。

 

 

また、したくなる時が来るかもしれないけど

その時はその時

 

やめたい人は一回やめてみると

意外とすんなり辞められるかもしれません。

 

 

そんなに入り込んでやっている人はいないかもしれないけれど。

 

はじめてヨガをした話【オススメしたい】

先日、初めてヨガをしました☻

 

気になってはいたけれど、

ヨガをするのは初めてで、

ドキドキ。

 

ヨガが始まると

 

「今は、呼吸をすることだけに集中をして、

吸う息と吐く息に力を傾けましょう。」

 

って先生。

 

日常生活で考え事をしていた私は

「そんなの無理だよ~」

って思いながら、

とりあえず、努力はしてみる

 

 

でも30分後には

完全に

頭の中は真っ白になって

ヨガというものだけに集中してた。

不思議だよね。

 

 

この空間から出たくない

って思った。

頭がとろーんとしている感じ。

風邪ひいた時に何も考えられない状態の

しんどくないバージョンか

快楽を感じた時の穏やかバージョンというのが

私の体感かな

 

 

朝ヨガだったから

雨の日だったけど、

一日のスタートがいい感じになった気がした。

 

これからも参加していきたい!!!

 

 

ヨガ迷っている人がいたら

本当にぜひ行ってみてほしいなあ☆

 

就職に悩む看護大学4年生の話

 

大学に入学したころは、

大学を卒業したら、

病院で働くことしか考えていなかった。

 

だけど、3年間を通じて

・健康志向の人を増加させたい

・健康的な生活を送る人をサポートしたい

・今の生活をより楽しくするためのお手伝いをしたい

SNSの情報に左右されない人を増やしたい(健康に関すること)

って考えるようになった。

 

要は、

疾病予防と健康の増進にウェイトを置きたい

 

なら

保健師?と思うけど

少し保健師とは違う気がする。

 

 

私のしたいことをするためには

何を経験として積んだ方がいいのか

何をもっと学べばいいのか

考える日々

 

今、就職活動をしている看護学生に

病院以外で就職を考えている人はどれくらいいるのかな

 

そんな人と一緒にお話をする機会があったらいいのにな

 

と思った今日。

 

 

幸せとは

幸せとは何か。

私はよく考える

 

 

私の将来の夢は

【ありえないくらいの幸せを見つけること】

 

 

幸せは

きっときっと

断定はできない

その時、その年代に応じた幸せがあって

今はありえないくらいの幸せに

感じていたことも

数年たてば

ありえないくらいではなくなっている

ということもあると思う。

 

 

幸せ

四文字で言える言葉だけど

奥が深いと思う

 

最近幸せだなあと感じたのは

ランチ帯の忙しい時間の皿洗いバイトを終え、

一息ついて

マックのホットアップルパイを

食べた時。

 

口に入れた瞬間

「幸せだなあ~」

って感じた。

 

高いお金をかけなくても

日常生活のいたるところに

幸せはある

 

 

今日は何の幸せを見つけますか?

 

走っている私が走っている人に聞きたいこと

私は、ほぼ毎日走る。

雨の日は走らないけど。

そんなに距離や時間を走るわけでもない。

平均は4キロ

 

そんな私は走っている人に聞きたいことがある。

 

「なぜ走っているのですか?」

 

 

私は、走りながらときどき考える。

私はなんで走っているのだろうか。

正直、気の乗らないこともある。

走らずとも生きていける。

走っている時間に他のことをすることもできる。

運動ならば走る以外にもたくさん種類がある。

脚が痛くなる時もある。

暑い、寒い日は家の中にいたほうが心地よい。

なのになぜ走るのか。

 

 

しばらく走ると答えが出る。

私が走る理由

それは、

 

「今日も走ってよかった」

と思えるから。

 

 

ランナーズハイを迎えたときはもちろん、

きれいな朝焼けを見ることができた時

ご近所さんと挨拶を交わしたとき

小鳥が鳴いているとき

小さな何かに触れる

そんなひとときが私は好きだから

だから走る

 

 

ここで、もう一回。

 

「なぜ、走っているのですか」

 

 

 

最近実を結んだこと

実は、

秋ごろからエッセイ投稿を続けていた私

 

きっかけは、

賞でお金がもらえないかなと思ったこと

(考え方汚いけど)

 

 

投稿頻度は多くなかった

自分が悩んだとき

書きたいと思った時

書きたいと思うテーマがあった時

そんなときに投稿を続けてきた。

 

はじめは、当落を気にしていたけど、

続けるたびに

そんなこともなくなって

気楽にしていた。

何より、

自分の気持ちが整理できる

それがストレスコーピングになっていた

 

 

 

昨日

一通のメール

 

 

選ばれた

 

 

 

えうそでしょ

 

 

賞金も何ももらえない

「~賞」

という感じ

 

 

でも、

とてもうれしかった

 

 

私は今まで小中学校の読書感想文、自由研究でさえ

選ばれたことはなかった。

体育館のステージの上から全校生徒を見渡すなんて

したことがなかった。

こんな私でも選ばれることがあるんだ

そう思うだけで自信につながった

 

もしかしたら、私しか応募してなかったのかもしれない

母数がとっても少なかったのかもしれない

でも少なくとも、読んでくれた人に

私の文章が響いてくれて

とってもとっても嬉しい

 

 

 

まだまだいける

 

まだまだやりたいことをやっていく

 

この調子

 

継続は力なり

 

 

 

 

 

食との向き合い方について

毎日4㎞ほど走り、

ジムに行く生活を送っている私

 

1年前より

確実に運動量は増加しているけど

体重はむしろ+

 

 

体組成は変わった気がする...けど

 

でも体重計の示す値が

減少していることはない

 

 

 

この原因は

私の過食にある

 

1年前のダイエットにより

私は

食の支配

を受けてしまった

 

おなかがすいているわけではないけど

常に何かを食していたい

なんとなく寂しい

食べたけどまだまだ食べたい

次は何を食べようか

 

何もしていなければ

一日中食べ物のことを考えてしまう

YouTubeでは食べ物の動画を見る

「ああ、おいしそうだなあ」

 

食べている時が一番幸せ

でも、太るのを恐れて

ヘルシーそうなものを食べる

本当はジャンキーなものを食べたいのに

 

満足できなくて

ヘルシーそうなものを大量に摂取する

でも結局我慢できなくて

食べたかったジャンキーなものや

ケーキなどの洋菓子類を摂取する

 

 

はじめから食べておけばよかった

また食べ過ぎた...

と後悔する

自己嫌悪

 

大量摂取しているとき、

自分の脳は自分のものじゃないような

感覚がする

何も考えることができない

無心という言葉が適しているのか

 

 

ふと我に返ると

大量に食べたせいで気持ち悪いし、

おなかはパンパンになっている

いいことなんて何にもない

 

 

食べたいものを罪悪感なく食べたい

どんな食べ物も

あぁ食べてよかったなあって思いたい

 

食の支配を受けていない人からすれば

考えられないようなことかもしれない

自分の頭の中だから

他の人が食べ物に対して

どのような気持ちを持っているのかは

わからない

 

 

だけど、無理な食事制限は

このような思考回路に至らす

導入剤にもなりうる

 

 

私は踏み入れてしまった

 

今思うと

食事制限中の

『食べっちゃった』

という感情は

 

食の支配へようこそ

 

のサインだった